新緑のこもれび

日和田山や奥武蔵、時に遠い山をあるいた足跡

龍崖山(飯能)と赤根ヶ峠

2023年1月12日 晴れ

リハビリ歩行の第二弾、2時間ほどの歩行を計画。ライドと歩行時間が程よい場所を地図を探したところ、前に行きそこなった飯能の龍涯山が目に留まる。ライド約20km、歩行6kmほどで、神社や寺、城跡もあるので楽しめる。

 

龍崖山の登山口。八耳堂がある。 IMG_1718.JPG 本尊は聖徳太子だそうだが、堂の前には狛犬が居る。神社のようだが、少し離れたところにある説明板には金蔵寺の仏堂とあったので合掌にてお参り。聖徳太子をお参りしたのはたぶん初めて。

手前と奥に社がある。軍荼利神社なのだが、どちらかなのか両方なのかわからない。分け隔てなく神式に参拝。どちらの神社も狛犬は居ぬ。 IMG_1720.JPG

神社脇から登山道、結構急坂(龍涯山を愛する80人の会が整備しているらしい)IMG_1727.JPG

龍涯山山頂、結構広い。ここは大河原城の跡でもある。富士山本宮浅間神社の祠もある。もちろん富士山も梢の間から拝める。IMG_1732.JPG

和田山(中央奥)と久しく訪れていない多峯主山(手前右)の眺めIMG_1734.JPG

燧山というピークがあったIMG_1743.JPG

龍涯山公園の一番下に出る(写真右やや下)IMG_1748.JPG 登り切った上がなんと住宅地になっていて、コースがさっぱりわからない。結局ローソンの交差点に出て西に曲り、あかね公園から遊歩道に入る(交差点辺りでコンパスが狂って迷いかける)。龍涯山公園と配水場広場を結ぶ最短路に案内板がほしい

登り口はあかね公園、この上から山道になると思ったのだが IMG_1751.JPG

法面の縁に続く道。工場を見、騒音を聞きながら進むと、大河原給水場に突当り、遊歩道は車道に下りている。 これはつまらない。IMG_1755.JPG

少し戻って、先ほどチェックしていた藪奥の赤テープから南西に下る事に。テープはここだけ。IMG_1757.JPG

尾根を辿って下ってゆくと棚田らしきぬかるみ脇に道らしき形跡があるのでさらに辿るIMG_1760.JPG

2.5万図の実線の道に出る。IMG_1761.JPG 軽トラなら何とか通れそうな。でも久しく通行がない林道のような。この林道脇も放棄田。隠れ田だろうか。「萩の郷南高麗」の比較的新しい木杭と「穴郷」と彫られた真新しい石柱が立っていた。現在南高麗の地名はないが、ここから谷を二つ超えた西南西に、南高麗を冠する学校と公民館がある。いつの時代に田を開きいつまで使われていたのだろうか。人は住んでいたのだろうか。道は広いまま峠の登り口まで続いている。

小道を少し登って赤根ヶ峠(国土地理院表記は赤根峠)昔はこの峠が六差路だったようだ。写真左、茜台自然広場に向かう。良く踏まれた広い道だ。 IMG_1770.JPG

二つの分岐を経て、左右の尾根に道が分かれるが、真ん中の谷沿いを選んで下る。IMG_1776.JPG

茜台自然広場。その先が車道。 IMG_1777.JPG

 

八耳堂から周回ハイキングを試みた。龍涯山側の稜線はまだハイキング気分を味わえるが、赤根ヶ峠側は峠の前後の狭い範囲以外は工場のフェンス沿いに騒音を聞きながらの何ともつまらない道だった。(帰宅後Googleの航空写真で確認すれば一目瞭然)ただし、尾根を越えた谷は全くの別世界。林道沿いに幅30m~50m、長さ約600m続く田の跡は南高麗という呼称とともに、大いに興味をそそられた。自転車で往復2時間弱なので、今後もお邪魔してみたいエリアとなった。この近辺、低山ながら山深かったのだろうが、住宅や工業団地、採石場、ゴルフコースによってズタズタだ。

 

ログ 龍崖山・赤根峠.jpg 図中丸内の番号 1:八耳堂 2:龍涯山公園 3:あかね公園 4:大河原配水場 5:配水場広場(赤根ヶ峠登山口と思われる) 6:茜台自然広場

例によって、新編武蔵風土記稿(風土記と記す)を見ると、大河原村の項には軍荼利神社と金蔵寺の記録がある。金蔵寺は「新義真言宗聖天院門徒」本尊は彌陀とある。現在の金蔵寺は、外見上古刹を思わせるものは何もないのが残念だ。廃仏毀釈の影響だろうか。

八耳堂は説明板では保元年間(1156~1158)の建立、1820年(文政3年)に再建とあるので風土記が編纂された(1810年1830年)時には再建されていた。この規模のお堂なら、風土記に記載されて当然だと思うが、あるいは再建前にこの地の調査が終わっていたのだろうか。

それにしても「南高麗」とは何であろうか。高麗郡建郡時の飯能の地域は6kmほど北東だと思っていたので気になる地名だ。