新緑のこもれび

日和田山や奥武蔵、時に遠い山をあるいた足跡

日和田山 北東の登山道

2023年2月2日 晴れ

和田山の北側の山道と清流からのもう一本の山頂直登尾根(東北東)を久しぶりに歩いてみた。どちらもマイナーなコースなので人とは出逢わない。

 

ログ 清流口.jpg 一の鳥居口から男坂を登り、山頂から高指山に向かう道の途中から北側の山道を下り、東北東尾根を登り返し、男坂から戻るコース。3.8km、累積標高335m、約1時間30分。これくらいなら体調まずまず。

 

北側の山道の分岐(写真中ほど右)、東側に流水跡とも見える道が分岐する IMG_1810.JPG

2018年以来道が荒れているが迷う事はない。ずっと谷沿いIMG_1814.JPG

尾根の下部に分岐がある。林道清流線の登り口確認のため左に下る。右は半鉢巻道IMG_1818.JPG

林道清流線のここに出る(林道から振り返り)IMG_1821.JPG

林道を少し南に戻ると大きな木のある階段、ここが東北東尾根の入り口IMG_1822.JPG

少し登ると鳥居と神社がある。社が2つと祠が1つ。お参りをする。IMG_1824.JPG

神社のすぐ上で分岐しているが、直進方向に登ると十字路に出る。横切っているのは半鉢巻道(右は先ほどの北の道に)IMG_1830.JPG

東北東の尾根には日和田山への道標があるIMG_1831.JPG

東北東の尾根下部は照葉樹林の杉林IMG_1832.JPG

上部は落葉樹の疎林、冬は明るい落ち葉の道となる。辿って登れば日和田山の山頂に北からひょっこり出るIMG_1833.JPG

 

和田山は双耳峰で、現在の山頂は西側の高い方の頂の「雄日和田」になる。東は登山道はないが「雌日和田」。先日登った清流からの古道が本来は直接雌日和田に至っていた。(新編武蔵風土記稿)

北の山道は清流村から駒高への道で、古くからあったと考えている。現在は上部で南向きに曲がって稜線に出ているが、国土地理院地図では谷沿いにそのまま北上して稜線に出ている、つまり清流-駒高に一直線だった

神社について

江戸の末期、清流には神社が5社記載されている。神明社2社、子聖社、山神社、愛宕社。正面の社には「天照皇大神」のお神札があるので神明社かもしれない。祠には「三峰神社御祈祷」のお神札、横向きの社は御幣があってお神札が見えない。子聖社、山神社はよくわからないし、これは気になる。 さらに、日和田山には金毘羅社と秋葉大権現社があると書いてあった(と思った/新編武蔵風土記稿だったかな?)。現在は金刀比羅神社が山頂手前にあるだけで秋葉大権現社がない。権現とは神仏混交の垂迹神なので、明治の神仏分離令で捨てられてしまったのか?それとも火の関係で愛宕社に合祀されたのか、これも気になる。

 

なお、秋葉神社の本社は静岡県浜松にある。縁あって数年前に働いていた場所から北にさほど遠くない場所(最近気が付いた)、また身内が折々お参りする神社が、さいたまであるが秋葉神社なのだ。ほとんど聞いたことが無いと思っていたが、関東地方にもたくさんあって、ほとんどが廃れ気味。神仏分離令の影響だろうと感じている。