2024年4月16日 夏日
お決まりの構図、桜は散ってしまった
土手を下りれば散歩道
足元にタンポポ
彼岸花エリアにはムラサキハナナ
菜の花がいつの間にか沢山咲いていた
広場にくつろぐ
巾着田の名がどこから来たのかわからないが、水田としては不思議な構造だ。川床よりも高い上に、高麗川との間に土手がある。ここは奈良時代に高句麗から移住してきた人の里。韓国語で「田」とは「畑」を意味するらしい(畑は和製文字)。それならば「巾着田」が巾着型をした畑という意味でつじつまが合う。ただ、今の韓国と高句麗が同じ言葉を使っていたかはわからない。高句麗は新羅に征服されていて、高句麗語はすでに消滅している。高句麗滅亡後の半島には中国大陸からたくさんの人的流入があるので、今の韓国人とも同じではないはずだ。
高句麗語と日本語には共通している部分もあるようだが、高句麗との文化交流もあったのだから当然だろう。誰の説かは忘れたが、半島は2万年前から8千年前までなぜかわからないが無人だった時期があり、その後半島に縄文人(縄文時代は14200年前– 5000年~7000年前)が渡ったというものだ。それが本当ならば高句麗語と縄文語が似ていても不思議はない。
半島に渡った縄文人は、その後大陸から進出してきた民族に追われて南下した。大陸から進出してきた諸民族が現在の韓国人の先祖。ゲノム解析では中国人と日本人の中間(混血)が現在の韓国人との結果が出ている。
言語学上も似た単語はあるものの韓国語と日本語は別のものであるらしい。縄文語と高句麗語はどうだろう。
最近東北方言と出雲方言の類似性と、縄文語の痕跡があるのではないかとの研究もある。個人的には東北方言が縄文語かもしれない事と、関東に残るアイヌ語の地名とされているものが実は縄文語ではないかと漠然と考えていたので、その記事を見た時には我が意を得たりで、なんだかワクワクする。