2025年7月3日 晴れ
炎天下の運動をしすぎたようで熱中症の後遺症のような症状と、顔のむくみ(脱水後に現れる症状)がなかなかとれないので、休養を取って近場に観光。地図を眺めていて偶然見つけた「多武峰神社」にいってみた。もう一つのお楽しみは「くぬぎむら体験交流館」のうどん。
くぬぎむら体験交流館、小学校の跡地だが、急坂の上の方にあるうどん、お稲荷さん、てんぷらを注文。つけ汁はゴマダレに青じそ風味。てんぷらはお任せで、インゲン、ピーマン、ズッキーニ?、青しそ葉、ユキノシタ、赤い葉っぱ(ちょっと酸味があっておいしい)
体験交流館のすぐ脇に浅間神社を発見してお参り。急な階段上部が土に埋もれて滑って怖い。これはとても下れないと思ったら、階段の巻き道がありました
ライドするには難儀しそうな高低が激しい舗装を車で10分ほどで神社入り口。なんでも大和多武峰談山神社(701年創建/社史より)から藤原鎌足公を勧請(706年)し、武藤家の守護神としておまつりしている神社だそうだ。(私の知り合いのご実家かもしれない)
入り口の由緒書き(武藤家)
少し登って鳥居、両脇に灯籠の基礎のような石がある
鳥居の正面には大木と岩壁、修験の修行にも使われたのだろうか
ぐるっと反対側にまわって有名な?瓦を使った階段。なかなかのアイデア
社殿と保護の建屋、社殿の彫刻が見事、境内の草が綺麗に手入れされている。参拝
ときがわ町の由緒書き
鎌足の遺髪をまつったとあり、のちに福聚寺観音堂を建立。明治2年(修験禁止令の際)に多武峰神社となった。とあります。元は修験の寺だったのね。
帰りに気が付いた参道入り口付近(鳥居より手前)の天狗の止まり木の跡天狗が止まれるような大木があったのだろうか。今は見当たらない。
お参りを済ませてから、車で10分のかき氷山田屋さんへ。駐車場から20mほど戻ってここから
細い道で車道の下をくぐって沢沿いのお店に到着。食券を購入して並んで待つ。抹茶とメロンを注文(メロンは上に3切れ、底に5切れほど/食べかけですが)
店先の東屋でいただくが、お店の奥に沢沿いのベンチと、屋内の喫茶室のような部屋があったのを帰り際に気が付いた。
・新編武蔵風土記稿で多武峰神社を調べると、比企郡之七平村の項に
多武峰【神社ではなく山としての紹介】【内は筆者注/現代語は間違っているかも】
「村の南の方なり上に五輪の塔あり村内修験福聚寺の持ち将軍塚と伝里人の説に大織冠鎌足の墓なりと伝是は大和国多武峰の名によりてかかる事をもいひ初しなるへし且碑面に文字なともあらされはいかなる人の碑なりや其年歴をも考ふへからされと古きもなることは疑ふへからす此外鐘獄と伝あり是は当時右大将頼朝納められし鐘を掛し所なりと伝」
・福聚寺【ふくじゅじ/多武峰神社の前身】については
「本山修験慈眼坊と号す観音堂本尊正観音座像一尺八寸行基の作なり御朱印地五百石は観音免【貢租の対象地としなかった観音堂持ちの田畑】として慶安二年【1649年】賜れり堂上に天文五年【1536年】の鰐口を掛く其円上に載す」とあります。
・本山修験とは天台系の修験で聖護院を本寺とした一派で本山派と称される。少し北にある有名な慈光寺は天台宗
・多武峰で見つかった瓦塔について、全国文化財総覧には以下のように記されている。
[RecNo:14434] 多武峰瓦塔遺跡/多武峯瓦塔遺跡
所在 : 埼玉県比企郡ときがわ町西平野中
市町村 : ときがわ町 ( 11349 )
種別 : 墓
主な時代 : 平安【794年 – 1185年/幅ありすぎ】
遺構概要 : 墳墓。 県遺跡地名表1975、墓。<現況>山林。
遺物概要 : 県遺跡地名表1975、平安-蔵骨器+瓦塔+五輪塔+須恵器。
発掘概要 :
その他概要 : 旧、比企郡都幾川村大字西平。 〈全国遺跡地図_位置〉a4/〈全国遺跡地図_旧番号〉/〈全国遺跡地図_県番号〉42-23/<全国遺跡地図番号>10-65。 県指定史跡。 県遺跡地名表1975、42-23。
データ管理機関 : ときがわ町 - 埼玉県
・瓦塔はGoogleのAIでは県内でも最古に分類され、9世紀ごろと推定とあるので、福聚寺創建から100年目ぐらいに置かれたものと思われる。この寺の古さがうかがい知れる。(このような証拠がはっきりしている神社仏閣は少ない)だが、鎌足との関係は風土記稿では疑問視している(解釈は合ってますよね)
それにしても、越生や都幾川周辺はなかなか面白い地域なんだと改めて思う。
・多武峰神社の前身の福聚寺は706年創建(鎌足をまつってある/本山派)
・多武峰遺跡から見つかった瓦塔は9世紀ごろ(800年代)のもの
・高山不動は654年、鎌足の子の創建(当山派)
・慈光寺は673年、僧慈訓が慈光老翁の委嘱を受け千手観音堂を建てた(本山派?)
・山本坊は1400年頃平将門(940年没)の末裔13代円栄によって開山(本山派)
なお、修験の2派については、慶長18年(1613年)に修験道法度を定め、真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派のどちらかに属さねばならないことにしたのでこの2派が有名。修験道法度前の状況はわからない。