新緑のこもれび

日和田山や奥武蔵、時に遠い山をあるいた足跡

三階滝と長老湖と水没林の紹介 & 安久津古墳

2024年4月17日~19日

 

三階滝(宮城県刈田郡蔵王町IMG_3331.JPG蔵王エコーラインに展望所がある。澄川に注ぐ支流の滝、宮城蔵王スキー場が水源。背景は南蔵王屏風岳の稜線

 

長老湖(宮城県刈田郡七ヶ宿町)IMG_3342.JPG

背景は南蔵王、南屏風岳、不忘山(陰になっているが屏風岳に続く稜線)

 

水没林(山形県西置賜郡飯豊町IMG_3370.JPG

飯豊町の白川の白川湖(ダム湖)上流にある源流の森付近に雪解けの時期だけ出現する水没林。カヌーに乗って水没林が楽しめるが、あいにくの雨で幻想的な眺めだけ。白川を遡ると飯豊連峰の登山口の大日杉小屋に至り、最上流は三国小屋の水場になっている。

 

ついでの安久津古墳(安久津二号墳・三号墳/山形県東置賜郡高畠町安久津)

帰路、「道の駅たかはた」に立ち寄ると、向かい側に「山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館」があり、小さな古墳と竪穴住居があった。竪穴住居は単なるレプリカでここにあったわけではないが、古墳はここに7世紀後半に造られたもので、二号墳は横穴石室がある。古墳と言ってもごく小さな円墳で、三内丸山の土を少し盛った墓を少し大きくしたもの(石室を地上に造ったので、それに土をかぶせた程度で、権力と結びついたヤマトの古墳とは趣が違う)という感じ。この時代は蝦夷(えみし/縄文人の末裔と思っている)の支配地のはずなので、この古墳とヤマトのかかわりに興味が湧く。

古墳と資料館。左が二号、真ん中が一号、立ち木の向こう、資料館手前の土俵のようなものも古墳跡(もう一つあったが資料館の下らしい)IMG_3384.JPG

横型石室がある二号古墳、背後の小山がきれいIMG_3383

蝦夷への侵略、ヤマトタケルが初めて行ったいわゆる征夷は4世紀に現在の福島県宮城県境ぐらいまでで、山形までは達していない。次は7世紀中頃の舒明天皇の時代、ヤマトの勢力圏内に組み込まれたのは関東地方までらしく、東北までは及んでいない。ただし交易はあった模様なので、石室の知識を持つ大和人が来たのかもしれない。今後も機会があれば東北中部の遺跡・集落跡なども見てみたいが、遠くて交通費がかさむうえに、住宅地や農地になってしまっていて、往事を偲ぶ場所が少ない。また東北の縄文遺跡は世界文化遺産に興味が集中していて北東北が圧倒的に多く、南東北については注目度が低いためか、素人が現存する遺跡を巡るのはなかなか大変だ。

復元竪穴住居(復元といってもこの場所にはなかった単なる展示物)IMG_3386.JPG

縄文人はこんな水辺には住居をつくらないと思っていたので、最初から違和感。葦の積み方もちょっと変。実際に住んでいた場所に立って周囲を眺めたい。