新緑のこもれび

日和田山や奥武蔵、時に遠い山をあるいた足跡

那須 姥ガ原の紅葉と南月山

2019年10月20日 曇り→晴れ 

稜線の風は強の弱 沼ッ原から姥ガ平を通り、茶臼岳から南月山、白笹山を回ってきた。

日の出平への分岐付近 IMG_7734.JPG

姥ガ平のひょうたん池付近から茶臼岳 IMG_7754.JPG

茶臼岳山頂の祠、那須岳という山頂はないが那須岳神社の文字 IMG_7772.JPG

牛が首からの茶臼岳 IMG_7777.JPG

ナナカマドの実(南月山手前のピーク付近) IMG_7787.JPG

沼原-日の出平への登山道がある尾根。気持ちよさそうな登山道が見えた IMG_7801.JPG

鳥居のような南月山の表示 IMG_7803.JPG

賽の河原に佇む石仏 IMG_7804.JPG

南月山の祠 かつては霊山那須の最南端  IMG_7806.JPG

悪い天気が続いたので紅葉に少し遅い今頃でも人が多いのか、沼ッ原の駐車場の外周は満杯となっていた。これで大体半分くらい。ここからの山道では車の量ほど人に合わなかった。それでも姥ガ原がにぎやかなのはロープウエイ側からのハイカーが多いためだろう。もちろん茶臼岳周辺は牛ヶ首も含め人が多かった。だが、牛が首から南月山方面に向かうとほとんど人気がなくなり、静かな山行が楽しめた。

ひょうたん池の入口の道標西脇に石仏があった。お顔を拝見すると非常に怖い顔をしていたので写さなかった(写せなかった)。帰ってから調べてみると奪衣婆(だつえばぁ)で、亡者の衣服を剥ぎ取る老婆の鬼なのだそうだ。どうりで納得の形相だ。奪衣婆が居るので姥ガ平なんだそうだ。ここは本来あの世との境界という事か。それに比べて南月山の石仏は見慣れた穏やかなお顔であるのは、ここが賽の河原と呼ばれていたからだろう。居らっしゃるのは菩薩様。 出羽三山の月山とは何の関係もなさそうなこの南月山、かつて信仰が盛んな頃は茶臼岳が月山と呼ばれていたそうで、その南にあり、稜線の溶岩地形が賽の河原と呼ばれていることなどから、そのように呼ばれたのだろうと想像できる。茶臼岳を月山と呼んでいたのは出羽の山岳信仰に対する憧れだろうか。