新緑のこもれび

日和田山や奥武蔵、時に遠い山をあるいた足跡

獅子ヶ滝と八坂神社

2023年1月9日 晴れ

一昨日の日和田山、翌日に腰の違和感があったものの、痛みはなくおおむね好調。ここで調子に乗るのがいつもの失敗パターンなので、一日休養し本日は自転車のライドのみ。約20km、1時間。途中の下りにある獅子ヶ滝と八坂神社にお参り。

 

獅子ヶ滝、滝行にちょうど良さそうな細い流れが一筋、この界隈は昔の修験のエリア IMG_3901.jpg

八坂神社。獅子ヶ滝から350m下ったあたり。IMG_3902.jpg

登ってみると大きな社の脇に小さな社。おそらく合祀。小さい方の社名・祭神が不明だが、分け隔てなくお参りする。IMG_3904.jpg

 

 鳥居の左の石碑、卍がある所を見るとこれは神様ではなく仏様。IMG_3903.jpg 神仏習合時代の物なら午頭天王かもしれないがお顔が分からない、風化なのか廃仏毀釈時にお顔を削られたのか。

八坂神社の総本山は京都の、明治までは祇園社という名称だった。有名な京都祇園祭は午頭天王のお祭りだったそうだ。祇園社は明治政府の神仏分離で社名を変更しご神体も午頭天王から素戔嗚尊に入れ替わった。もともと午頭天王は素戔嗚尊だといっている。神仏習合から見れば午頭天王、神社から見れば素戔嗚尊という事か。すっきりしない。

気になって新編武蔵風土記を見てみたら、阿諏訪に記載されていた神社は以下3社

雷電社 大行寺(明治期に廃寺、現在地蔵のみ道端に)と行蔵寺の持ち(竜ヶ谷山に鎮座、右1社左に2社が合祀されている)

・山王社 村の鎭守にて大行寺の持ち(現在山王社という神社はない)

・瘡守稲荷社 行福寺の持ち(雷電社の右隣に稲荷神社があるがこれらしい、キツネもいる)

現在はない山王社、山王社と言えば日吉大社より勧請を受けた神社という事になる。比叡山を開いた天台宗の始祖最澄延暦寺の守護神とした。神仏習合の「山王神道」に発展した。色々調べると山王社が八坂神社に改称することも行われていたようで、風土記の山王社が現在の八坂神社なのだろうと思われる。 また八坂神社の脇を700mほど登ったところに中山薬師堂がある(毛呂町の文化財)。もともと薬師如来は本地(本来の姿)で、午頭天王が垂迹(仏が借りた姿)となるらしい。これは仏教優位の言い分で本地垂迹そのまま。 そうなると不思議というか理解ができないのが、祇園社が祭った午頭天王が実は素戔嗚尊という理屈。午頭天王が垂迹なら、素戔嗚尊垂迹、つまり薬師如来が借りた姿となってしまうのか?。 八坂神社側から見れば反本地垂迹で、つまり神が仏(神仏集合神=午頭天王)の姿を借りていたので、本来の純粋な神の姿に戻して素戔嗚尊を祀ったということか。これでは午頭天王=素戔嗚尊とはならない。 長い時間をかけて独特の文化となっていた神仏習合文化が生んだ午頭天王という神仏のハーフが、明治政府の神仏分離(古代の神の姿に戻した)でのけ者にされ、文化が人為的に破壊されたのだ。政治のために?その結果として神道の思想が戦争に利用された(利用した?)のならば、明治政府の大失態だろうと思う。 中山薬師堂は風土記に記されていない事から、もしかしたら風土記の言う山王社は、現在の八坂神社と中山薬師堂を含めた広い範囲が神仏習合の神社または寺であったのかもしれない。山伏や修験が宿谷の滝で行をしていてもおかしくはない。神仏分離で修験は姿を消し、薬師堂と八坂神社に分割された。そして午頭天王の石仏が危害を加えられた。のちこれが神でない事を示すため卍を彫り込んだのだろうか。

今日のトレーニング、鎌北湖から阿諏訪集落を抜けてOPゴルフを戻るコース。平均勾配7.5%×1300mの登り中に10.8%×500mがあるコースで、今の自分には死ぬほどつらい500mだったが、元気だからこその味わいだ。